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【障害者の自立を考える(8)】 2005年9月16日OA

〜車イスで闘った衆院選〜

 郵政問題ばかりに焦点が当てられた2005年・衆院選挙。
そんな中、身体的ハンディに屈することなく戦った2人の男性がいます。





愛知3区から無所属で立候補した藤本栄さん(45)。
30代で事業を成功させ、公私共に充実した日々を送っていた 藤本さんが、ALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症したのは8年前。 徐々に神経細胞が死滅し、全身の筋力が低下する進行性の 難病で、現在のところ明確な治療法は見つかっていません。

またALSの場合、感覚や精神機能は正常であるため、急速に衰えて
いく肉体への葛藤も大きく、精神的な苦痛を伴うのです。
わずか3年間のうちに完全な寝たきりとなった藤本さんは現在、
人工呼吸器を装着し生活しています。声を出すことができないため、
目とわずかに動く口元を使って、プレートに書かれた文字を視線で
差し示す方法や、口元の動きを光センサーが読み取る機械で
パソコンを操作し、意思を伝えます。

候補者としては過去に例がないほど重度な障害を抱える
藤本さんが、今回戦うことを決意したきっかけ、それが
「障害者自立支援法案」でした。藤本さんがALSを発症した当初、
居宅介護などの福祉制度は整っておらず、家族が24時間体制で
介護しなければならない状況でした。そんな「介護地獄」から
藤本さん一家を救ったのが、現在の障害者支援費制度。

「この制度を使えば、苦しむ人々を救える」

そうした思いから、自宅で介護派遣の事業所を始めたのです。
しかし、自立支援法案の施行により一割負担となれば、
長時間の介護が必要な障害者であるほど、家族への負担は大きくなる。
それでは、支援費制度以前の状況に戻ってしまう。こうした危機感を抱き、
「やはり実情をよく知る当事者でなければ、良い福祉政策は実現できない」
と感じた藤本さん。



有権者に訴えたい思いとは――
藤本さんの視線が文字を追い、それを妻の友香さんが声にします。
「福祉の現場を知って欲しい」そう訴えかける言葉に、
足を止める人々の数も増えていきました。





福岡2区の民主党候補・平田正源さん(37)は、
19歳のとき交通事故に遭い下半身の自由を失いました。
その後、単身アメリカに渡り、ボストン大学に入学。
渡米9年目にして弁護士資格を取得しました。
日本に帰国してからは、外資系投資顧問会社で
法務部長を務めるなど、第一線で活躍してきた平田さん。
対立候補は小泉総理の盟友・山崎拓氏。前回4月に行われた
補欠選挙では、およそ1万8千票差で敗れ、
これが2度目の挑戦となります。「かけ離れてしまった
国民と政治家の距離を縮め、同じ目線でいたい」と考える平田さんは、
選挙カーには乗らず、猛暑の続くなか自身の手で車いすを漕ぎ、
人々の声に耳を傾けます。



               --- 2005.9.11 衆議院選挙 投票日 ---



自らの身体を張って戦い、それぞれの思いで迎えた投票日。
平田さんはおよそ9万6千票を獲得しましたが、
山崎拓氏には約4万票差をつけられ落選。
自立支援法案について、「国会で当事者として代弁できる人間が
いなくなってしまったことは本当に残念」と悔しさを滲ませながらも、
平田さんは次の選挙に向け動き始めました。




重度の障害を抱えながら、無謀とも言える戦いに挑んだ藤本さん
結果は、当選した近藤昭一氏の約11万票から大きく離され、
8千5百票での落選でした。

戦いには敗れた――
けれど力の限り訴えたことで、確かな手応えを感じることができた。
藤本さんの視線が、ゆっくりと文字盤を追います。

「8千5百人の方に、思いが通じたかと思ったら、とても嬉しかった。
 機会があれば、もう一度立候補して、今度は勝ちにいきます」