中部大学 学生達のレポート

今回初めてALS(筋萎縮性側索硬化症)患者である藤本栄さんにお会いした。藤本さんがお話してくれる際、いきなり吸引が必要な状況になりびっくりしてしまった。また介護の方が藤本さんの経営している会社の社員さんだと聞いたときは正直言うと、こんな状態でなにができるんだろう・・・。まず会話もできないのにどうやって講義をやってくれるのだろう。どうせ奥さんが旦那さんの闘病生活を語るだけなのだろうと思っていたら、奥さんが文字の書いてあるクリア板のような透明な板を持ち出した。私はいきなり何をやりだすのだろうと思っていたら、おもむろに藤本さんの目の前にもっていったと思ったら、ゆっくり一文字ずつ奥さんが文字を言っているのです。私はいったい何が起こっているのか理解ができませんでした。そうしたら目の動きで何を言いたいのかを見てそれで会話をしていることを知りました。奥さんは普通の会話と比べるとやはりだいぶ時間がかかってしまうにしても、本当に合ってるの?と思うくらいのスピードで藤本さんの伝えたいことを変わりに私たちに伝えてくれているのだ。私は今まで生きてきた中で初めて見た会話方法だったので、すごく驚いた。
 藤本さんは一生懸命私たちにお話をしてくださって、緊張をほぐそうとしてなんとか会場が爆笑するほどの笑いを何度も私たちに与えてくれた。またプロフィール紹介では、自分の今までのとても優秀なエリートだった自慢話を聞かせてくれた。私はすごく温かみがあって面白い人だなと思った。
 「発病から告知まで」のお話を聞いて、想像ができない病魔の恐怖を感じた。ちょっとした違和感から自分でわかる苛立ち・絶望そして恐怖。奥さんを見て糸が切れたように泣いてしまい、奥さんも泣いている藤本さんを見て我慢ができなくなり、一緒になって泣いた光景。私もこんな風に両親を泣かせたのかな・・・。もし、自分の病気が大人になってからだったらどれだけの絶望感を味わうことになっていたのだろうと考えるだけでも怖い・・・。
 「失い続ける中で・・・」のお話では今まで何不自由なく生活してきた中で1つづつどんどん失っていき、何も自分でできなくなる恐怖。肉体的・精神的ダメージははかりしれないものだと感じた。
 「呼吸器をつけた後の心境の変化」のお話では、人工呼吸器を着けると家族を縛ってしまうことになるので、家族のことをとても大切に思うあまり、家族を苦しめるくらいなら死んだ方がいいのかと考えるくらい悩んでいてそれでも自分にしかできないことがあるはずと思い、奥さんに「生きていい?」と聞き「生きてくれるだけでいい」という言葉に感動した。
 「在宅へ帰ってからの介護環境と問題」のお話では、その当時はまだ家族と訪問看護師にしか吸引は許可されておらず、頻繁に行わなければならない吸引に奥さんの睡眠時間が全くとれないといった過酷な状況だったことを知り、医療関係者がもっと協力しなければいけないと感じた。
 「問題を解決する為に」のお話を聞き、奥さんも極限状態まできて奥さんと藤本さん2人ともに限界が近づいてきたとき支援費制度が始まりまた7月にはALS患者に限りヘルパーさんによる吸引行為が許可された。そこで奥さんと同じように苦しんでいる人を助けるため、ヘルパーさんによる吸引を覚えてもらうため、自分の体を練習台にと自らを研究材料に訪問介護の事業所をつくることを決意したと聞き、藤本さんにしかできない病気になってから生きがいにしていたことが見つかったのだと思った。
 「なぜ藤本さんが立ち直れたのか」という質問の回答に私はすごく感動した。
 一番の支えになっていたのはやはり奥さんと言っていたが、失意のどん底にあった時救いになったのは、普通の人間と変わらぬ態度で笑顔で接していた看護師と言ってもらい、また『人と言う字は支えられて成り立つのです。病気で病院に入院される方は、人という字のノの状態で入院して来ます。それを、将来あなたたちが支えて人に戻して退院させてあげて下さい。私の様に』という言葉、看護師にもっとも必要な要素で心が一番大切で笑顔を絶やさぬ心ある看護師になれる人。『病は医師だけが治すのではありません。私の様な難病患者を社会復帰させたのは、看護師の笑顔だったことを一生忘れずにこれから現場に向かって下さい』と言う言葉を聞き、よりいっそう強く看護師を目指したいと思った。
 今回の講演を聞かせてもらい、看護師を目指す上でとても大切なものに気付かせてもらうことができ、感謝の気持ちでいっぱいになった2時間だった。



今回藤本さんの話を聞いて、藤本さんの生きる強さや考え方、生きるという事へ向かう姿勢にとても心を打たれました。
 初め先生にALS患者さんが来ると聞いた時、どのように講演されるのか分からなく全く授業のイメージが湧きませんでした。しかし、当日実際にお会いして文字盤を使って奥さんと話している姿を見て、まずは奥さんに驚きました。なぜあの文字盤で藤本さんがどこを見ているのかが分かるのか・・・文字と文字の間隔も狭いのに・・・っというのが率直な気持ちでした。文字盤を動かして視線の先の文字を読み上げていくというテクニックがまだ私には分からず、なぜ目線だけで分かるのか最後まで分からなかったです。
講演が始まると、藤本さんは想像以上にユーモアのある方というかとても面白い方で、すぐに藤本さんの世界に引き込まれました。言葉の表現の仕方も豊かでとてもびっくりしました。
なぜこんな難病にかかっている人がこんなに明るいのか・・・話を聞いているうちにだんだん分かって来ました。藤本さんは病気じゃないんだ・・・ちょっと不自由なだけで、私たちと何も変わらない。私は目がかなり悪くてコンタクトレンズか眼鏡をかけていないと生活できません。それと同じで、私の眼鏡やコンタクトと同じように人工呼吸器や車いすを使っているんだということが分かりました。
しかし、体が動かなくなっていく現実を受け止められるようになるまでの過程はとても辛いものがあったという事がプリントや話から伝わってきました。告知を受けた時の気持ち、肉体的機能を失っていく気持ち、社会的地位を失っていく気持ち・・・これらを体験した事のない私には、きっと完璧に藤本さんの気持ちを確認することは無理です。憶測にしかなりません。しかし、分からないから諦めるのではなく、分かろうとすることが大切なんだと思います。
以前学校の課題で読んだ本がありました。その本の主人公も透析を受けながら何度も苦難を乗り越えながら、自分の出来る事を精一杯やっていました。漢字検定を取ったりボーリング大会で優勝したり・・・その時に、人間やろうと思えば何でも出来てしまうのではないかと思った記憶があります。今回の藤本さんの話を聞いた時にも同じことを思いました。諦めたら、そこで終わりなんだと。
看護師さんの笑顔と何気ない会話や冗談に救われたという話を聞いて、看護師の存在がこれほど大きい物だとは思いませんでした。藤本さんのプリントの中の
「人という字は支えられて成り立つのです。病気で入院される方は、人という字のノの状態で入院してきます。それを、将来あなたたちが支えて人に戻して退院させてあげて下さい。私のように!!」
という言葉に私が勇気づけられました。課題続きで、なかなか頭がついていかず、本当に看護師になれるのか不安だった私に、やっぱり看護師になりたい!!私もノの状態の患者さんを支えられるような看護師になりたい!!と改めて思わせてくれました。患者さんに勇気を与えられるような、生きる希望を与えられるような、そんな看護師に私はなりたいです。
自分で歩くことも、ご飯を食べることも出来ない。けれど、藤本さんにしか出来ない事がある。藤本さんしか分からない事がある。その体験を生かし同じように困っている人の力になりたいと思う藤本さんはとても素敵な方だと思います。私にしか分からないこと、私にしか出来ないこと。それが何かはまだはっきり分かりません。しかし、これから学校を卒業して働いていくうちに、自分だから出来る事を見つけて行きたいです。



今まであまりALSという難病について考えたことがなかったけれど、藤本さんの体験を知ることによって、深く考えさせられました。一番心に思ったことは、本当に大変な病気なんだなということです。聞いたり、文字化されている物を読むだけでもこれだけ大変さが伝わってくるのだから、きっと体験した藤本さんを含めたALSの患者さんはもっと辛く苦しいのであろうと思いました。そしてまた、それを支えている家族も想像以上の苦しみを体験しているのだと知りました。昔はヘルパーさんは吸引が行えなかったりしていたのも大変であっただろうと思うし、何より自分の家族が難病により苦しんでいるということは、とても辛いことだと思いました。今まで何事もなく平和に暮らしていた日々が難病により、こわされることになるなんて、考えるだけで怖いし、それを受け止めろという方が無理な話であるなと思います。しかし、この藤本さんは、自分なりに受け止めながら、今やれることを探し、向上してきているので本当に強い人であるなと心から思いました。そして、藤本さんの妻も、ずっと藤本さんを支え続け、二人が支えあってここまでこれたのだなということにとても感動しました。この二人だったからこそ乗り越えてこれたのだと思います。自分が将来看護師になり、このような患者さんに出会ったらどうするか、果たすべき役割は何なのか、考えてみたいと思います。やはり、藤本さんも言っていた通り、哀れむ気持ちよりも、他の人と同じように接したり、笑顔で何気なく接することが基本になると考えました。また、患者の家族に対してのケアもとても大切になると思いました。何も知識がない患者さんや家族は、私達が思っている以上に不安だと思うし、辛いはずなので、医師よりも、近くに寄り添える看護師の“支え”という役割はとても重要なものになると思いました。藤本さんのように、病気を個性と考えられるように援助していくことや、苦しい時は一緒に苦しみ、共感し、患者さんやその家族を安心させてあげられるような暖かい笑顔で接することが、看護師として大切になると思いました。藤本さんがパソコンでインターネットを操作できるようになったことが、自立の第一歩と言っていましたが、例えば自分の身の回りのセルフケアができるようになったら自立したと考える人や、藤本さんのように、自分にとって新たな環境になり、今までとは違ったことができるようになることが自立と考える人もいるわけで、その人にとっての自立は個々で違うものだということも、看護師としての役割を果たすためには念頭においておかなくてはならないことであると思いました。その人一人ひとりに合った自立援助、QOL向上の援助も重要な看護師の役割だと思うからです。最終的に病気を受け入れるのも、自立をするのも患者さん自身で行うことですが、それを一番近くで支える医療従事者は看護師であるし、多分、看護師の支え方が患者さんにとって大きなものとなるのだと考えると、それだけの影響力があるわけなので、責任感をとても感じるけれど、自分の頑張りで人を救えるのだから、素晴らしいなと思いました。



ALSの患者である藤本さんは、とても明るく、今の人生に心から生きがいを感じている方で「患者」という言葉が似合わない人だと思いました。
講義の中で、ALSにかかった後の藤本さんの苦しみがどんなに大きなものだったのかが伝わってきました。食べることも飲むことも、体の自由もすべてを失い、家族にも迷惑をかけているのではないかという絶望感はとても辛いものであり、今までの私の人生の中では感じたことのない感情だと思いました。
そんな藤本さんは立ち直り、自分自身の体を使ってヘルパーさんに介助を覚えてもらう、介護事業所を立ち上げてしまいました。そして、自分が感じてきたこと、学んだことをたくさんの人に伝え、自分の経験を役立てています。それは本当にすごいことだと思うし、なかなか誰にでもできることではないです。話を聞いているだけでも、藤本さんは、今生きていることに喜びを感じ、しっかりと自分のやりたいことをみつけ、希望を持って生きられていました。手足も何も不自由なく生活している私よりも、よっぽど生きがいを感じていると思いました。私も藤本さんのように、今自分ができることを考え、みつけ、社会のために、人のために何かできる人間になりたいです。
患者さんが希望を持ってその後の人生を送るために大切なことは、自分の病を受け入れることだと思いました。体は不自由でも、今自分が得られること、これからの人生をどう楽しく生きるか、それを考えることができれば、病は克服できるのです。そしてそのような考えに切り替えることができるきっかけを作ることも、看護師の大切な役割なのだと思います。今回の講義で一番心の中に残った言葉は、看護師の「笑顔」と「心」に藤本さんが救われたということでした。失意のどん底にあった藤本さんを救ったのは、毎日笑顔で病室を訪れる看護師さんの存在でした。私も将来たくさんの患者さんの心を自分の笑顔と言葉で救うことができ、患者さんに生きる希望を与えることができたら、どんなに素晴らしいのだろうと思います。今日の講義で、看護師が果たすべき役割とは、患者に生きることへの希望と喜びを与えることでもあると感じました。看護師という職業には、知識と技術がなければなりません。しかし、それ以上に大切なことは「笑顔」と「心」であるのだということを学びました。どんなに技術があっても、患者の心を治してあげなければ本当に健康になったとはいえません。自分も、藤本さんの心を救った看護師のように、患者さんの心を救うことができる看護師になりたいです。今回の講義では毎日を楽しく生きがいを感じて一日一日を生きている藤本さんに、人間としての強さと、看護師として大切にしなければいけないことを学ばせていただきました。今日学んだことは、ずっと忘れずに自分の人生に生かしていきたいです。



「中部大学魂で頑張ります」という言葉から藤本先生の講義は始まりました。初め、この人は難病であるのに、何故こんなにも元気であるのか、どうしてこんな冗談が言えてしまうのか、何が藤本先生をこんなにも強くしているのかすごく疑問でした。
そしてその答えとは、私にとって「看護師」になるという夢を強くしてくれるものでした。藤本先生が体験した絶望の人生を黙読しているだけで本当に胸がつまりました。同時に家族の愛とはこの世で一番強い力であると感じました。なので、藤本先生の最初の問い、「なぜ私はこのように元気に立ち直れていられるのか」に心の中で、家族の愛、夫婦愛があったからこそ、その支えが一番だろうなと思っていました。そしたら、藤本先生の口から“ピンポン”の判定が出されたのは“看護師”という言葉に対してでした。毎朝笑顔で挨拶をする看護師から勇気をもらった。そんな言葉を聞いて、私はまだ看護師でもない、ただの看護学生であるのに、凄く嬉しく感動しました。私も思い起こせば入院していた時、看護師さんとの会話は、私の入院生活を癒やしてくれたものでした。今まで忘れかけていた看護師の役割、医師ではできない役割を改めて思い、考え直すことができました。「笑顔」と「真心」をもって患者さんと向き合うこと。忘れずにこれから励んでいこうと思いました。
藤本先生の講義を聞いて、看護職として果たすべき役割とは患者さんに勇気と希望を与えることだと思いました。病は気からということわざがありますが、その言葉のごとく、私達看護職がその“気”を起こさせる一番近い存在であると思います。今までの看護学概論などで、看護師は一番近くで患者を支える存在という風に習いました。なので、頭の中では分かっていたけれど、実際に支えになるのかな、という疑問がありました。しかし、今回の話や、文字盤を通しての藤本さんの気持ちを黙読し、看護師という存在の大きさに感動しました。私も藤本さんをケアした看護師さんのように、笑顔がキラキラしていて、あったかい真心のある看護師になって、患者さんに勇気を与えたいと思いました。藤本先生の言葉(文字盤での)の中に、「人」という字になぞらえて、私達に伝えてくださったことがありました。私は「ノ」の状態で入院してくる患者さんみなさんに、「人」に戻すことが使命であると思いました。そして、やはり人はたくさんの人と関係し合う関係性の中で生きているんだと実感しました。私も、藤本先生のお話を聞いて、元気づけられ、必ず看護師になるという勇気をもらいました。この勇気を私が看護師となって患者さんに与えるといったように勇気の伝え合いができたらすごく素敵なことだなと思いました。
短い時間でしたが、藤本先生のお話を聞くことができてすごく嬉しかったです。文字盤越しに会話するということは、こんなにも大変なのだと思いました。眼力だけで相手に言葉を投げかける大変さ、その言葉一つ一つを拾い上げる奥さんの大変さ、本当に夫婦の愛に感動しました。
看護職は家族のケアも同時にするべきことだと思いました。みんなで万博に行っている映像を見て、すごく温かみを感じました。ヘルパーさんや看護師は家族ではない。しかし、家族のようにお互いがお互いを必要としていて支えあっている光景がとても目に焼きつきました。私は家族が大好きです。家族の一員として患者さんに受け入れてもらえるような看護師になりたいと思いました。本当に貴重な時間を頂き、ありがとうございました。



藤本さんの話を聞き、突然ALS(筋萎縮性側策硬化症)が発症したのにも関わらず、とても明るく冗談を言っているのにとても驚きました。それはもし自分が急に車いす生活になりどんどんと悪化しさらに人工呼吸器をして生きなければならないとなったら、もしかしたらその絶望感に耐えることができず生きることにも脅えていただろうと思うからです。また今の趣味や夢に向かって頑張っている学校を辞めなければならないのはとてもつらいことである。働き盛りに発症したため、藤本さんにとっては幼い子供の将来や家庭を支えていくためにもとても過酷な問題だったと思った。また家族(特に妻)もどんどん肉体的機能が衰えていくことに対しても今後の不安や藤本さんに対してどのように関わったら良いのかわからなかったと思う。肉体的な喪失よりも精神的な喪失感の方がダメージが大きかったという一言が今でも心に残っている。しかし、平成15年に支援費制度ができたことをきっかけに妻と同じようにALS患者さんや呼吸器をつけた患者さんの在宅療養で苦しんでいるご家族を助けるため訪問介護の事業所を作った。そしてALS患者に限り、ヘルパーさんによる吸引行為が許可された。そして、自分の体を練習台とし、ヘルパーさんに吸引を教えており、吸引のできるヘルパーさんを毎月増やしている。自分が家族に助けてもらうのではなく、自分に何ができるのかどんな状況になっても考えていることにとても感動した。
なぜ絶望感の中から立ち直れたかは人工呼吸器を付けてまでも生きていて欲しいという妻の思いと24時間もずっと付き添ってくれていた家族の支えがあるが、その他にも支えになったものがあると聞いた。それは看護師だった。絶望している藤本さんに対していつも笑顔であいさつをし、たわいもない話をするといった、普通の人間として接してくれる日々が続いていくに連れ、生きてもよいのではと思うようになったことを知った。そして相手を思いやる気持ちがとても大切なのだと知った。藤本さんは「在宅は特に看護師と患者さんが接する密度が高いため、自分がどんなに落ち込んでいても笑顔が必要。みなさんがもし訪問看護の現場に入ったら、玄関で一呼吸おいて気持ちを切り替えて笑顔で入って行ってください。」と聞き、仕事をしていく中で落ち込むことや忙しくてイライラしたりすることもあるかもしれないが、常に笑顔で患者さんのことを第一に考える思いやりのある看護師になりたいと思った。
藤本さんになぜ看護師になりたいのかといった質問があったとき、私は在宅で曾祖母のお世話をしていた看護師さんが笑顔で世話をしたりする姿や私たち家族の思っていることもいろいろと聞いてくれ不安が解消されたりと、とても明るく優しかったことにあこがれを抱き、看護師への道を歩んだことを思い出した。勉強や仕事をしているとつい忘れがちだが、それは理想の看護師像でもあり、患者さんにその看護師さんのように笑顔や明るく優しかったことにあこがれを抱き、看護師への道を歩んだことを思い出した。勉強や仕事をしているとつい忘れがちだがそれは理想の看護師像でもあり、患者さんにその看護師さんのように笑顔や明るく優しいことはとても大切なことだと思う。それはどんなに落ち込んでいても看護師の笑顔を見ることによって少しでも多くの人を元気にできると思う。さらに明るく優しいことによって悩みについても看護師に少しでも話しやすくなるのではないのかと思った。患者さんと関わるときは例えその時どんなに落ち込んでいたりしても一呼吸置き患者さんに関わり、患者さんにとって頼りがいがあり、心の拠り所となれる看護師になれるといいと思った。3年になると実習がたくさん入ってくるためこのことを忘れないようにしたい。そしてどうしても看護師になるにおいて戸惑ったり、患者さんにどのように関わったら良いか分からなくなったりしたら、何故看護師になったのかを一度振り返り、原点に戻ってから患者さんと関わるのもとても大切なことなのではないかと思った。



難病者がQOLを目指すために、看護師が果たすべき役割や考え方において藤本さんの講演はぼくの考え方にものすごく刺激を与え、インパクトを受けました。
藤本さんは過去のすばらしい実績をもっていらした方で大企業に勤められ、会社でいくつもの表彰を受け、会社に貢献してきたのはただならぬ努力と才能に満ちあふれていた方だと思います。しかしそんな藤本さんになんの前触れもなく、突然医師にALS(筋萎縮性側策硬化症)という治療法がなく、原因さえもわからない難病を告知され、そこからの藤本さんの強い意思と家族の支えでどのように立ち直り、今に至るまでの話を藤本さんに聞かせていただきました。
藤本さんの講演ですごいと思ったのは、藤本さんはもちろんだけれども、家族の支え、特に奥さんの協力は並大抵のものではないと感じました。常に藤本さんに付き添い、今まで支えてきたのにはものすごく大きい愛のつながりがあったからであると感じました。それと同時に、介護の制度に憤りを感じました。今では改善されたものの、以前は人工呼吸器を付けている患者の吸引は身内の者しかできず、平成14年時には訪問看護師による吸引は許されていなかったのです。そのため奥さんは訪問看護師さんと交代してもらえるたった一時間の休憩時間で睡眠をとることしかできなかったそうなのです。このことはもしこのような現場を知っていれば、こんな制度はもっと早くから改定されていたはずだと思います。このような事態を知らないために、在宅看護には厳しすぎる現実があると感じました。よって介護や医療の制度で変えるべきことはまだまだたくさんあると思います。これらのことを改善することが、今、社会の大きな問題だと感じます。であるから、藤本さんのように介護現場の厳しい現状を知っている人がこの国の政治に関わっていくことは、とても賛成であるし、この国の介護福祉政策をかえていってほしいと思います。よりいっそうみんなにやさしい社会制度になることを願っています。
ALSの宣告を受け、どんどん体を蝕まれていき、何度も死にたいと思う藤本さんを救い立ち直らせたのは何であったか・・・。もちろん奥さんの支えが一番であったのは当然であるが、失意のどん底であったのは毎朝笑顔で病室にきて、普通の変わらぬ態度で接した看護師の姿が大きな支えになったそうです。ぼくは今まで中部大学に入学してから自分なりに看護の勉強をしてきました。もちろん看護に関する知識以外にも、患者さんとの意思の疎通であるコミュニケーションの重要性は理解しているつもりでした。しかし藤本さんの講演を聞いて、それこそが看護師のあるべき姿であり、役割であると感じました。きっともし看護師さんが藤本さんと接するときに哀れみや同情の目で接していたら、藤本さんが立ち直ることはなかったかもしれません。それほどに看護師の存在は患者さんのこころの支えになるものであり、命に関わるものであると思います。将来、自分が看護師になった時にはこれらのことを心がけて、患者さんを勇気付けられ、社会に送り戻してあげられるような看護師になり、その役割を誇りに思えるようになりたいです。これが僕の思う看護職としての果たすべき役割であると思います。



教室に入り、真ん中に藤本さんがいました。私は生まれて初めてALS患者さんを目の前にし、言葉で表現することのできない気持ちになりました。そばにいた人が何回も吸引を行っていました。顔を動かさずにずっと遠くを見つめて、藤本さんは目だけをキョロキョロと動かし、周りの人に何かを伝えているようでした。そしていよいよ講義が始まったと思ったら、そこにも私が初めて見る光景が広がりました。妻の友香さんが何か透明なプラスチックのものに書いた50音の板みたいなものを持ち、それを藤本さんの顔の前に持っていきました。私はてっきり手だけ動くのだろう、それで字を指差すのであろうと思っていました。そしたら藤本さんにはそれといった動きがあるわけでもないのに、友香さんが藤本さんの代わりに話し出しました。よくよく見てみると、友香さんは藤本さんの視線の先にある文字を読み取って言葉にしていたんです。それだけにびっくりしたのではありません。その視線の先にある文字から読み取った言葉に大変驚きました。藤本さんの一言一言の言葉はとてもおもしろく、ユニークで、全くALS患者で苦しんでいるんだなんて思いもしません。ALS患者さんを目の前にし、緊張していた心がいっきにほっとして、温かい気持ちでいっぱいになり、とても不思議な気分になりました。しかし、そんな藤本さんが、今のようになれるまでの道のりはきっと今日のお話だけでは伝えきれないくらいだと思うし、今でもこんなにおもしろいことを言ってくれるけど、毎日毎日大変な苦労を重ねているのだと思いました。
そんな藤本さんが私たちに「私がなぜ立ち直れたのでしょう?」と問いかけてきました。私はみんなの意見同様、妻の友香さんや家族が支えてくれたからではないのかなぁと思っていました。そして答えを聞いてびっくりでした。今私達がなりたいと夢みている「看護師の笑顔とまごころ」でした。藤本さんは「私が絶望しているときに普通に人間として接してくれる日々が続いていくうちに、私は生きてもいいのかなと思うようになりました」と言っていました。他にも、「もし担当のナースが私を哀れみの目で見ていたら、ここにはいなかったかもしれない」など、とても重くのしかかりました。普段から私はどんな看護師になりたいですか?と問われたら、いつも「笑顔で人の気持ちの分かる看護師になりたい」と言っていました。しかしこの時は、その笑顔がいかに人を救い、時には人の人生の道さえ変えてしまうこともあるのだと知ったときは、笑顔なんて当たり前のことと思っていたけれど、そんな風には思えませんでした。笑顔とまごころの大切さや、いかに患者さんの心に自分たちのそういった行動が影響するのかということを藤本さんの言葉によって痛いほど伝わりました。それと同時に私も、私の笑顔にも、そういった一人でも多くの人を救うことができるのだろうかとも思いました。きっとこれからも看護師になってからも、つらい日や逃げたくなる日もくると思います。そんな時は、自分でいっぱいいっぱいになってしまい、周りが見えなくなってしまうこともあるでしょう。しかしそんな時は、今日の藤本さんの言葉を思い出したいと思います。何のために看護師になったのか忘れた人にはなりたくありません。藤本さんが「みんなは絶対そんな風にならないでくださいね」と言ってくれた言葉を守りたいです。
看護師の役割として「笑顔とまごころ」はどんな場面でも忘れてはなりません。特に在宅看護の場合はナースと患者さんが特に接する密度が高いので、笑顔はどんなに自分が落ち込んでいても必要です。藤本さんのアドバイスの一つとして「もしみなさんが訪問看護の現場に立ったら、まずは玄関で一呼吸おいて気持ちを切り替えて笑顔で入っていってくださいね」と教えてくださいました。私はこれを訪問看護の場だけでなく、日頃から行えるように少しずつ練習していきたいと思っています。そしていつかそのような場面が来たら、最高の笑顔を提供できるような看護師になりたいと思います。
また、患者のことを考えられる人にもなりたいです。きっと私が今の状態で看護師をするとなると、きっと障害を持った患者さんに対して何でもしてあげたいと思ってしまい、普通の人として見ないで障害を持った方として接してしまっていたと思います。藤本さんがはじめにおっしゃったように、“普通の人間として”という言葉からそれが藤本さんにとってはとてもうれしかったことなんだと感じました。それが患者のことを考えられる人なんだと強く思いました。きっとその看護師さんは無理矢理、笑顔をつくっていたわけではないと思うし、毎日毎日ただ一人の人間として藤本さんを見続けてきたのだと思います。だからそういった気持ちが藤本さんの心にもひびいたのだと思いました。人が人を支え、人が人を変え、時にはその人生にも影響を与えます。看護師という仕事はそういった人を支える立場であり、人に影響をも与えるということを常に心に入れておく必要があります。看護師は特にそういった場面が他の人に比べ多いけれど、このことは普段からも言えると思うので、自分の笑顔を大切にしたいです。笑顔とまごころを常日頃から意識し、自分の笑顔が誰かの支えになっているといいなと思います。今日の講義はとても胸を強く打たれ、感動しました。私は今日藤本さんに多くのことを教わり、何か変われた気がします。藤本さんのそんなパワーを大切に受け取り、今後の学習に生かしていきたいと思います。



藤本さんのお話を伺うことで、私が将来看護職者として果たすべき役割について2つ考えました。
一つ目は藤本さんに絶望から立ち直るきっかけを与えたと言う看護しの言動です。難病と指定される疾病の宣告で治療・入院と、男性としては今まで良い成績を収めていた仕事から離れてしまうことや、自分自身の身の回りのことが自身で行えない状況になっていくというのは、私たちには理解することは難しい感情だと思います。また私は、自分の身体の状況が変化していくことをきちんと自身が理解できるということはより辛い現状だと思っていました。しかし藤本さんが自分の状況をきちんと把握しているからこそ、看護師がどのように接しどんな言葉をかけているのかが理解出来、絶望から立ち直るきっかけにもなったのだと思いました。そこで、私たち看護師の言動です。藤本さんのように自分で意思表示をすることが難しくとも、こちらの状況をきちんと理解できる患者さんだけで同じように接し、看護をしていくべきだと思いました。医師たちはどうしても命の危険が迫る疾病の方に意識が向きがちです。もちろん命が救えなくては意味がありませんが、自分の病と闘う患者さんを精神的に支えることも医療者の役割だと思います。そうなれば患者さんの一番近くにいる看護師の果たすべき役割として重要だと考えました。
 二つ目は患者家族のサポートです。講義の中で「僕が絶望から立ち直れたきっかけは何だと思う?」と藤本さんが尋ねられた時、「奥さんの愛」「家族の存在」という答えが上がっていました。奥さんは「それは大前提にあるのだよ。」と教えてくださいました。家族にとっても家族の誰かが病に倒れるというのは非常に辛く、悲しく、同様するものだと思います。患者本人の一番の支えに家族がなってくれることは当たり前かもしれません。では、その家族は誰が支えればいいのでしょうか?患っている疾病に関する医療の知識や社会支援の活用方法、退院後の生活、家庭の経済状況などと、患者自身を支える以外にも家族は多くのことを考えなければなりません。そんな家族を支え、相談役となり患者にとっても良い家族関係を築くサポートも看護師の役割だと考えました。
藤本さんは一つ目のように看護師に救われたとお話くださいましたが、やはり一番は奥さんだともお話くださいました。きっと看護師だけでは藤本さんを絶望から救えなかったでしょうし、奥さんだけでも出来なかったかもしれません。最も藤本さんを支えてくれていた奥さんがいてこそ、看護師の言動が活きたのだと思いました。
難病指定をされている疾患を患い、人工呼吸器をつけた状態で生活をしながら、福祉事業を手掛ける藤本さんなので、現在の状況に至るまでもご自分の力で様々な事を乗り越えてこられたのではないかと思っていました。しかし藤本さんは「人」という字は誰かに支えられて出来ていると教えてくださいました。病を抱え「ノ」で入院してきた患者さんを支え「人」に戻す手伝いをするのが看護師の役割だとおっしゃっていました。人は身体が弱っていると、気持ちまで弱くなってしまうものだと私は考えています。しかし、疾病と闘っていくためには強い精神力が必要不可欠になるでしょう。患者さん自身がその精神力をもてるように、またその家族が一緒に戦うことが出来るようにすることが看護師の役目だと考えました。



難病という2文字を聞くと、どうしても大変な生活を送っているというイメージが出てしまいますが、今回藤本栄さんのお話を聞いて、そのイメージはなくなりました。確かに、そのイメージは間違いではないと思うのですが、何かそれ以上に深いもの教わった気がします。
発症する前までは、優秀営業スタッフとして表彰されていたり、コンテストで入賞したり、働く社会人として優秀な成績を残していらした方が突然の病で人生が一変してしまって、本当に想像もできないくらいの絶望感を味わい、たくさんの問題を乗り越えて、ここまでやってこられたことは、たくさんの人の支えと、藤本栄さんの努力があったからこそのことだと思います。藤本栄さんの話を聞いていて、すごく思ったことは、「本当にこの方は難病なんだろうか、普通の大人の方と、しかもユーモアがあって面白い方の話を聞かせていただいている様だ」ということです。確かに、車椅子の乗っているし、身体は動かないし、表情もみられなくて、吸引もされているし、声は奥さんの声だけれども、ただコミュニケーションの手段が違うだけで、本当に普通の方がお話をしてくださっている様でした。なのですごく話にのめり込むことができたし、面白くて、たくさん笑うことができました。
人生のどん底に落とされた藤本さんが救ってくれたのは看護師と言った時に、私は看護師という職業を夢に持って、看護師になろうと決めたことをすごく誇りに思うことができました。藤本さんの様に、たわいもない会話や冗談、毎日の笑顔を立ち直るきっかけとしてくださったり、勇気に変わるなら、私は絶対笑顔を忘れない看護師になろうと思いました。看護師の役割は、患者さんを、その患者さんに合った方法で励ましたり、少しでも前向きになってくれるような環境をつくっていくことだと思います。普段の生活の中でも、自分がその気がなくても自分が発した言葉や笑顔で、何か影響される人がいることも忘れないでおこうと思います。そして、心の底から優しくなりたいです。例えばもし、今の私のままで難病の方と一対一でお話をして下さいといったら、ものすごく怖くて緊張してしまってきっと無口になってしまうと思います。自分の発した言葉が相手の方を不愉快にさせたり、傷つけてしまうんではないかと、怖いのです。しかし、看護師になったときそんなことは言ってられません。私の課題は、藤本さんから教わった看護師に最も必要な要素と笑顔を心から見に付けることです。藤本さんの人生で、奥さんも欠かせない人の一人だと思います。奥さんは顔から性格がにじみ出ている人でした。本当に優しくて、いい人なんだなと感じました。きっと奥さんの人生も藤本さんに負けないくらいたくさんの困難があったんだと思います。お二人を見ていて、素敵だなぁと思い、私もこんなにお互いが想い合って支えあっている家族になりたいと感じました。素敵な人には素敵な人と巡り合えるのかもしれません。藤本さんの生活や病状、過去の出来事や過程については、本当に理解したうえで、言葉を発するのには、若干20歳のまだ何も苦労していない娘が失礼だと思うし、本当に理解するのには、本人や周りの方たち、同じALSの方たち以外にはできないことなので、何も言えませんが、すごい影響力を感じました。私にとって、このような話を聞くことは、本当に影響力があるのです。藤本さんの冗談や真剣なお話、目の動き、姿全部が、その一つ一つが私にとっては色々考えさせられるきっかけになりました。自分が人に影響を与える職業に就くこと、その意味、役割、人間の力や家族の重要性、笑顔や会話、心、全部改めて考えたいと思います。笑顔は瞬時にできるし、自然に出るし、しかも、一人ひとりちがう顔のつくりだから、その分たくさんの笑顔と出会いたいです。今回の特別講義で、たくさんのことを学べました。この機会を作ってくださった先生や、藤本栄さん、奥さん、会社の人には、感謝でいっぱいです(^-^)。



 私はALSの患者さんが講義をやると聞いた時、「どうやってやるんだろう」ということをまず初めに思った。ALSという病気についてあまり詳しくは知らなかったけど、筋肉が動かなく、ずっと車椅子生活ということは知っていた。どうやって話すのだろう!?と思っていたら、50音の書かれたプラスチック板を藤本がさんが目で追い、それを奥さんが読み取ることで、コミュニケーションをとっていた。藤本さんも奥さんもすごいなぁと思った。やはり奥さんだから、あれだけスムーズに読み取ることができるのかなぁと思った。私の位置からは藤本さんが見にくかったので、途中から健常な人が話しているような感覚になっていた。私が藤本さんに対して一番「すごい」と思ったことは「明るさ・ポジティヴさ」である。私が「ALS(筋萎縮性側索硬化症)という原因不明、治療法のない病気にかかりました。車椅子生活です」なんてことを言われたら、人には会いたくないし、家でずっとふさぎこんでしまうと思う。それがバリバリの営業マンの方が言われたらさらに落ちてしまうと思う。藤本さん自身、絶望にたたされたと言っていた。しかしそこから前向きに考える所がマネできないと思った。介護を受けている側からしか気付くことのできない問題点もたくさんあると思うから、藤本さんの考えは素晴らしいなぁと思った。私も彼の明るさ前向きさを見習いたいと思った。
 私がすごく印象に残ったのは「藤本さんが絶望のうちにいた時、立ち直れたのはなぜでしょう?」という質問の答えだった。私は「家族の支え」だろうなと思っていた。しかし違っていた。答えは「看護師」。「毎日病室に来る看護師がいつも笑顔で真心を持って接してくれたから、私は立ち直ることができた。」という話を聞いた時、私はそんなにすごいものになろうとしていたんだ・・・と思った。1人の人の人生を立ち直らすことのできる看護師・・・私はそんな看護師になれるのだろうかと不安でいっぱいになってしまった。しかし、不思議なことにそれと同時に同じくらい「看護師になりたい!!」という気持ちが強くなった。だれかを助けたいと思った。だれかを笑顔にさせたいと思った。藤本さんが「看護師ほど素晴らしい仕事はない」と言ったことに対して、そんな素晴らしい仕事につけるのかなという思いと、それほどすごいものになろうとしているんだ、私。というような誇りのような気持ちが生まれた。人を助けるのは技術だけじゃないんだなということにも改めて気付かされた。笑顔で、ただ平凡な会話をすることで救われている患者さんもいるのだ。私も笑顔でいることで幸せになれるし、幸せにさせられると思っていたけど、ただのキレイごとかもしれないなぁと思っていた。しかし、藤本さんの講義で笑顔は人を救えるんだって本当に思った。
 看護師には「知識」も「技術」も「経験」も「努力」も必要だし、大事だと思う。私は全てもった看護師になりたいと思う。しかし、まず第1に「心」を大事にしたいと思った。藤本さんと約束したように「笑顔を絶やさない真心を持って接する看護師」になりたい。藤本さんのように難病を持った患者さんや、病気になり絶望している患者さん達を立ち直らせ、笑顔にしてあげたい。患者さんが退院した後も、患者さんの心に残るような援助をしていきたい。看護しになるからには見返りを求めるのはいけないと分かっているけれど、患者さんに「あなたに会えてよかった。」と言ってもらえるくらいステキな看護師になりたいと思った。
 藤本さんと会え、話を聞くことができて本当によかったです。





 このページの先頭に戻る 

 講演実績・予定のページに戻る

 トップページに戻る